蟲ソムリエの実践

昆虫食ブログです。前ブログ「蟲ソムリエへの道」 http://mushikurotowa.cooklog.net の続き

4-3-2 外来種を採って食べることの倫理

第3章に入れようか、それとも第4章に入れようか、迷っています。
暫定的に4−3−2へ。他の章ができていないですが先にできたので置いておきます。
 

f:id:mushikurotowa:20170918114233j:plain

フェモラータオオモモブトハムシのキラキラナッツタルト
外来種を採って食べる」ということは、ほぼ全肯定で報道されます。
鉄腕ダッシュが「グリル厄介」という企画を出しましたし
 
 
私も今までに数回、企画をしました。
 
1,スジアカクマゼミを採って食べる会
 
私が発案し、昆虫食仲間のムシモアゼルギリコさんと石川ふれあい昆虫館さんに丸投げした、
 
というアイデア漏出型人間の無責任さが出た感じのイベントでしたが
 
うまく報道されたのと、
 
「食べる会によって外来種問題は解決しない」という部分まで含めてコメントがなされたので
 
どちらかというとプラスになったのではないかと思います。
 
 
記事が残ってない… うーむ。
 
 
2,フェモラータオオモモブトハムシを採って食べる会
 
主に採る会になりましたが、外来種であるフェモラータオオモモブトハムシを
某所の河川敷で集め、その場で茹でてから持って帰りました。

f:id:mushikurotowa:20170918113716j:plain

フェモラータオオモモブトハムシ前蛹のマカロニナッツサラダ
外来種対策を標榜しながら、それを生きたまま運搬し拡散したのでは本末転倒ですので
特定外来種なみの対応をチャレンジしてみました。
 
こちらは有志で開催したので報道には乗らず。
 
その後食べる会を開催しました。
 
その他、
アカハネオンブバッタ、ムネアカハラビロカマキリ、クロツヤムネアカカミキリ
など、食べてみたい外来種はいくつか候補がありますし、研究者にも声をかけてあります。
 
いずれも研究者に連絡をし、食べてよいか、研究の妨げにならないか、
食べるとしたらいつ、どのあたりがよいか、ゴーサインが出てからスタートする予定です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
さて、ここからが「倫理」の話。
 
「なぜ外来種を食べることはなぜ非難・批判されにくいのか」です。
 
おおまかに3つの倫理が影響していると考えています。
 
1,外来種の倫理
2,食の倫理
3,持続可能性の倫理
 
です。順番に説明していきましょう。
 
1,外来種の倫理
 
外来種は悪者、在来種はいいもの」
 
という善悪二元論は、初歩的にはわかりやすいので、ある程度通用していると思います。なので「悪者を採って食べる」という勧善懲悪のストーリーも
多少は効いていると思います。
 
ですが、この論はそのうち破綻するのでおすすめできません。
外来種を悪者扱いしている!悪いのは人間!」という
反対論がかならず出てくるからです。
 
当然ですが、あくまで悪いのは人間です。
 
人間と生物のバランスを崩してしまうようなある人間の不始末を、他の人間、あるいは公共団体が肩代わりして後始末をしていこう、というのが外来種の倫理の基本になります。
 
火事にも似ていますね。
ある人物の失火、放火を、他の人間、公共団体(消防団・消防署)が肩代わりをして火消しをしよう、といった感じです。
 
火は化学的な燃焼反応ですので、目で見てわかり、熱や勢いでその脅威も直感的に理解しやすいのですが、放たれた生物が他の生物に与える影響は、なかなか理解できるものではないですので、生物学者の出番になります。
 
外来生物は目で見てわかりにくく、対策の専門家でないと、外来生物の「火の勢い」がわからないので、一般市民からすると、過剰な対策ではないか、とか、仕事を得るために煽っているのではないか、とか疑心暗鬼になってしまいがちです。
 
話はそれますが、
2017年夏のヒアリ騒動の件でもわかるとおもうのですが、外来種問題が騒ぎになったときに駆り出されるのは、いままでいるその分野に「一番近い」専門家、今回は在来アリ全般の専門家と、アリも扱う昆虫の専門家でした。同じ給料のまま、全国に呼ばれ、手弁当で対策をしています。
 
その時に、それらの専門家が本来やっている博物館での仕事や、それまで進めていたヒアリ以外の本業の研究論文などは後回しにされます。そして、ヒアリ対策の予算がついても、給料には反映されません。
 
なので、外来種問題は専門家すらも被害者である、ということです。
それでも問題を隠したり矮小化したりせず、警鐘し、監視し、収束へと向かわせようとしているのは、あくまで生態系の専門家としての倫理観だと思います。
 
残念ながら、免疫反応を使った検査キット、画像認識のAIは今回
間に合っていません。その開発にあたっても、AIもキットも必要なく同定が可能な
専門家の手が必要です。
 
ということで生態学者も仕事において、外来種問題の実質的な被害を受けている、ということ。矮小化せずに収束させようとしているのは高い倫理観ゆえである、ということ
を気にしていただけると、外来種問題がもうちょっと柔らかに見ることができると思います。
 
話を戻します。
 
 
そして、外来種対策のやり方が「予防原則」になります。
 
火事の例えで言うと、
火薬保管庫では火気厳禁、というニュアンスに近いです。
 
外来種のやっていることが「罪」であり、その駆除が「罰」である、としてしまうと
本来の罪刑法定主義であれば、火事になってからその行動を放火である、と咎めるべきですが
 
いざ火事になると取り返しがつかないことになるので、
範囲と限度を決めて、予防的にルールを決めて取り締まることにしています。
 
というのも、外来種が放たれてからでは遅かった、あるいは初動が出遅れたために沈静化するためにものすごく時間とお金がかかってしまった、ということが経験的に今まで多くあったからです。
 
予防原則は経験則がその根拠となっているので、
初めて聞いた人にとっては「そんなことエビデンスがない、論理的じゃない。聞いていない」と不快感を覚えるヒトもいるのでしょう。
 
「対策すべき外来種か」「対策可能か」「対策によって不利益を被るヒトはいるか」など個別の案件については様々な専門家が協議して、その範囲と限度を決めていますので、外野である一般市民からは、不透明に見えることもあると思います。
 
これは、生態学者を信じてください、というしかないです。
もしくは生態学者になってください、というしか。
 
生態学を勉強していくと、そして生態学者と知り合いになると
あそこの外来種は盛大な火事になってるなとか
鎮火しようとしてくすぶっているまま10年も経ってるぞとか
火事のようにビジュアルで直感的に見えるようになってきます。
 
それでも、専門家しか知らない地元の事情など、色んな要素があるので
 
「専門家を信じて対策を任せる」あるいは「自らがその案件の専門家になる」の
2つの選択肢から選んでいただきたいと思います。
他でのチャチャ入れは事態を悪化させることのほうが多いです。
 
まとめます。
 
外来種の倫理に関しては、
専門家の判断のもと、予防原則が適用可能だ、というところまで特徴として挙げておきましょう。
 
つまり被害が出る前に、個人的な活動によって駆除して食べても外来種倫理としては
問題がない場合が多いです。
もちろん専門家が調査中の地域においては勝手に食べては研究のジャマになりますので、「食べていいですか」と事前に聞くことも大事です。
 
 
2,食べることの倫理
 
ヒトが飢餓に陥ることは苦痛です。苦痛の回避は
基本的な人権として、認められています。
 
また、単に飢餓を回避するだけでなく、より健康に、
QOL(生活の質)を高く保って生きていくことも、生存権のうちとして
認められています。
 
なので、食べたいモノを食べることは、基本的に尊重されます。
 
基本的人権は最も強力で普遍的な権利ですので
そうそう制限されることはありません。
 
食の倫理からすると、外来種だけでなく、どの種においても
食べたいモノをたべていい、となるのが基本です。
 
ところが、食べたいモノを食べることで、これからの人類の食の権利を
将来にわたって奪う可能性が指摘されてきました。
 
 
3,持続可能性の倫理
 
 これをもう一つの倫理、「持続可能性の倫理」といいます。
 
この用語も生態学から生まれた言葉なんですが、
今食べたいものを食べることで、子孫が二度と食べられなくなる、というのは
長期的な他人の食の主権を侵害している、とみなすことができます。
 
具体的にはウナギやマグロです。
ウナギを食べないことで失われる健康やQOLの低下は少ないでしょうし
もし大きいとしても、今食べることで、ウナギを食べる文化を子孫から永遠に奪うというのも、たいへんに暴力的だと思います。
 
また、外来種の蔓延は、在来生態系の持続可能性を脅かす可能性もありますので、
持続可能性の倫理とも関連してきます。
 
侵略的な外来種である、との調査結果が出ないことには
その外来種が持続可能性を毀損している、とは言い切れないので
あくまで関連するもの、としておきましょう。
 
経験的に、侵略的でない外来種についても、個人的に捕獲して食べることは
持続可能性の倫理において問題ない、といえると思います。
 
 
さて、
1,外来種の倫理
2,食の倫理
3,持続可能性の倫理
 
いずれの倫理においても
外来種を採って食べること」はまったく反すること無く
実現できます。
 
1,外来種の倫理においては、本来いなかった種が
もしかしたら影響ないかもしれない。影響があるかもしれないが
予防原則で駆除してもほぼ問題ないだろう、と言えます。
個人活動ならなおさらそれを制限することはないでしょう。
 
2,食の倫理においても
ヒトが1日に食べる総量はだいたい同じなので、その中で
意義のあるものを食べる、ということはトータルで殺される
生物の総量を減らすことができます。
 
3,そして持続可能性においても
ヒトが生態系の状態に応じて
食べるものを自分で選び、採集して食べる行為は
もっと普及させてもいいぐらいの問題ない行為だと思います。
 
なので、いまのところ外来種を採って食べることは
どの倫理からみても極めて安全な行為である、と言っていいと思います。
 
 
さて、私が問題提起したいのはこの先です。
 
外来種が蔓延した地域で、その外来種を養殖してビジネス化していいか」
 
という問題が、昆虫食が養殖化されるにあたって顕在化すると思います。
 
侵入地域で養殖し、ビジネス化し、野外の外来種の買取制度を設けることで
持続可能なビジネスとしての外来種対策ができる、と思っています。
 
具体的にはクズで養殖できるフェモラータオオモモブトハムシを

f:id:mushikurotowa:20170918113012j:plain

f:id:mushikurotowa:20170918113026j:plain

フェモラータオオモモブトハムシ成虫
蔓延地域で養殖し、茹でてから出荷して特産品になればいいと思っています。
 
その時に、少しでも外来種リスクを上げる行為として咎められるのか
 
すでに蔓延してしまって対策予算が賄えないことがわかったとき
 
ビジネス化してしまったほうが「持続可能」なのか
その時の安全対策や脱走防止策など
 
もうちょっと具体的な未来の議論として進めてみたいところです。
何かご意見があれば、またお聞かせください。